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淡く白い風景の物語
豊饒な言語空間
私は川端康成のよき読者ではありません。従って、読んだ本といえば学生時代の著名な数点に過ぎず、それも饅頭食いながらただぼんやりと感じたものです。
ところが最近京都に行くことがあり「古都」でもと手にとってその鮮烈な言語空間が現出するのに驚嘆しました。
以下はほんの一例です。
「茶室の下の小みちを抜けると、池がある。岸近くに、しょうぶの葉が、若いみどり色で、立ちきそっている。睡蓮の葉も水のおもてに浮き出ていた。この池のまわりは、桜がない。」
文章は際めて平易です。しかし一句一句の意味は驚くべきスピードで展開し、そして最後に歌舞伎でいう幕の振り落としのような情景が言語の中で顕われます。
具体的に追うと以下のとおりです。
まず、「池が」在ります。存在がそのままストレートに提示されます。次いで「しょうぶの葉が、立ちきそ」います。存在そのものから、その態様に変化するわけです。そして「出ていた」となり、すっと後に引くことによって存在からの空間的かつ時間的距離感が現出します。圧巻は「桜がない。」です。勿論存在としては、「桜はない」のでしょう。しかし、「桜はない。」と言語が提供されることによって、桜そのものの残影が一旦顕われ、その非在がフラッシュバックのように存在化します。そして消え去るのですがその瞬時は永遠です。
出来事はあっというまなのです。しかし、何度読んでもその言語空間はくらくらするほど豊饒です。
文章作法の修練がよほど徹底してなされたのでしょう。よく研ぎ澄まされた彫刻刀によって彫られた一個の芸術作品が艶やかに実在すると感じることができました。


京の春夏秋冬
久しぶりの川端康成でしたが、目からうろこが。「膝を払って」立ち上がる、なんて、最近ではとんと見なくなった日本語です。

伝統的な京都の文化・四季の美がクローズアップされがちですが、それらと双子の姉妹の再会とをまじえることで、「壷中の天地」のような物語に仕上げているという、意外と斬新な手法で書かれた小説でもあります。

冒頭のすみれの例えは、若干、あからさまな気もしますし、話のリズムが崩れているように感じる時もありますが、やはり小説全体を覆う雅さには心惹かれます。特に苗子と秀男が出会う場面は、くらっとくるくらい魅力的でした。さすが美女好きの川端さん。

あと春・夏・秋と和服中心だった話のなかで、冬になると千恵子が暖かい洋服に着替える場面があるのですが、それがなんとなく時代とともに失われていく京都の美への哀惜に思われるのは、深読みしすぎでしょうか。1年間くらい京都に住んで、今の古都の様子をじっくりと眺めてみたい気持ちにさせられました。

淡く白い風景の物語
双子で生まれ同じ家庭で個性を磨きながらそれぞれの人生を歩むのが本来とするならば、この姉妹は全く違う人生を生まれた時から辿らなければならなかった。その事実を知った時、二人の運命を分けた見えざるものに対して畏怖し、渦が中心へと二人を近づける自然の力に身を任す。しかし、姉妹は一体にはなれぬことを知り、また離れていく運命に人生の切なさ、哀しさを胸に抱き、それぞれの人生へ旅立つ。一瞬ではあるが凝縮された時間の密度の中で絆を強固に築き上げた。雪の中へ消え去る苗子、それを見送る千重子、まるで幻影かであったような静かな白い風景が深い余韻を私の中に残す。人生は何を持って幸せと定めるのか・・


古都 (新潮文庫) 川端 康成
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心が洗われ、浄化されたように感じ
宝物
読み進むにつれ、思わず涙が出ました。
本を読んで感動したのは久しぶりです。
読み終わって、心が洗われ、浄化されたように感じ、
銀色さんの大きな愛が体いっぱいに伝わってきました。
私はこの本を家族に薦めました。
大切な人や子供に読んでもらいたい本です。


あっという間に読めてしまうボリュームの中に、素晴らしい物語がありました。
本当に「いい話」の王道のような展開なのですが、
たまご王子の登場でシリアスになりすぎず笑いながら読めたこともあって、
文中には出てこなかったのですが、「笑う」ことの大切さを実感しました。
今後、改めて読むと、いろんな(再)発見があるかもしれません。
ずっと読み続けたいと思いながら読み終えてしまった貴重な1冊です。
裏表紙に書かれていたとおり、「一生の宝物になる物語」になりました。
カイルの森 (角川文庫) 銀色 夏生

マネークリップ
純粋な友情が描かれてる作品
掃除の持つ意味が興味深い
30代女性のテーマなのかもしれないけれど
人間関係と閉塞感。

最近こういうテーマを読んでもピンとこない。
自分が男だというのもあるのでしょう。

でも、たぶんすごく共感する人がいるんだろうなとか
うまく描けているんだろうなっていうのはわかる。

それに、物語の重ね方とずらし方、後半まで一気に読ませる仕組みとか、作者の力量みたいな物をすごく感じる作品ですさすが角田光代さん。

この物語でもっとも共感できたのは、働きだした彼女が「掃除」を仕事にすること。村上春樹の雪かきや大崎義生の水槽あらいのように、(こちらは主人公が男だけど)彼女は掃除をすることで現状打破するのです。

意味があろうとなかろうと、誰かが変わってくれる仕事であろうとなかろうと。手袋をはめず、直接シンクをあらう。そうすればある時突然、汚れがとれる。

人間関係も、同じなんだろうと思う。

爽快感が残る!
初めて角田光代さんの作品を読みました。

私と同世代の作者。物語に出てくる音楽に懐かしさを感じたり出てくる背景に一体感を感じました。

現在、過去と話が繰り返され未来へと繋がるものです。

読んで思ったのが過去があるから現在があるという事。過去がどんなに辛くても未来は必ずある。

正反対の性格、生き方をしている同級生の女性2人が主人公になっている。お互い全く違うようであるのに根本は同じで求める方向は同じなんだと気付いていく物語。

友情ってなんだろう?純粋な友情が描かれてる作品でした。

角田さんは女の人生について真剣に冷静に語る
『八日目の蝉』に続き、角田作品はこれを選んで読んでみました。

マイクロバスに女たちが乗せられてある所へ向かうシーン、子供のいる女・いない女の両方の人生を真面目に冷静にえがく筆致は『八日目の蝉』に生かされるモチーフとなっている。

10代に出会い、もう二度と会うことはないだろうけれど、一生忘れない何人かの女友達のことを思い出しながら読んだ。私にもこういう行き場のない思いを分かち合い、そこから一緒に脱出しようと、毎日毎日学校の帰り道や、電話や、手紙で語り合った友達がいた。
しかし、結局はお互いを頼ることなく、それぞれが男性に恋をし、その行き場のなさを突破していったように思う。私もそうだ。
その時点で、急に疎遠になり、高校時代のようには付き合えなくなった。

女の人はどうしても自分と同じ境遇の人としか仲良くなれず、ひとたび属性が異なると関係は簡単に切れるというところを角田さんはとてもうまく描けていると思う。

でも、関係は切れても一生忘れない。その関係を胸に、人生に行き詰ったときに、その友達との記憶が道を照らす灯台となる。その光に導かれて、また新しい光となる人と出会っていってね、というのが角田さんのメッセージだろう。



対岸の彼女 (文春文庫) 角田 光代

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アルゲリッチの指から紡ぎ出される美しい音
夢見るように弾くことだ

1977年2月4・5日、ロンドン、クイーン・スクエアのセント・ジョージ教会にて録音。

アルゲリッチの真骨頂が味わえる曲・年齢の録音である。
シューマンはアルゲリッチのレパートリーの中で最も重要な位置を占める作曲家だろう。

その演奏範囲は非常に広く、有名曲ばかりでなく、ヴァイオリン・ソナタ第1・2番のような比較的演奏されることが少ない曲まで積極的に取り上げている。
このアルバムでは特に幻想曲作品17が素晴らしい。

アルゲリッチはこの曲の演奏で最も重要なのは『夢見るように弾くことだ』と語っている。

それ故か第2楽章の195小節3拍目左手の前打音を1オクターヴ高く、第3楽章の一部で旋律を含むオクターヴを崩して弾いている。

正に夢見るままに弾き、感極まってのことではないか、と思える。

アルゲリッチの録音の中でも必聴盤である。

あぁ、幻想の世界よ!!
アルゲリッチの指から紡ぎ出される美しい音・・・。

その、音を目をつぶって、聴くと、夕べの色が見える・・・。

情熱的な飛翔!!私はこの2曲だけ好きなので、この2曲について書くが、夕べは滑らかに紡ぎ出される音の数々、飛翔は情熱に躍動するシューマン!!と私はこの曲から、感じ取っている。

聴いて欲しい盤です。


シューマン:幻想曲&幻想小曲集 アルゲリッチ(マルタ)

ミッソーニ
滑稽味と滋味と人情味をほどよく漂わせ
頭上のサルは何だったのだろう?
頭の悪い私にはよくわからなかった。

老人の悲哀みたいなことばかりが書かれてあるのも気になった。

小説すばるって若い人の話しか受賞できないと思っていたが、こういった内容でも受賞できるんだって新しい発見があった。

個人的には好きな話ではあるのだけど。

切ない
「年寄りは年寄りらしく」この言葉がどれほど高齢者を苦しめているのだろう。

彼らの、人として生きる権利をも奪ってしまいかねない。

年をとっても、人を愛したり人から愛されたいと思う気持ちは、決して衰えないと思う。

また、「じゃまにされたくない」、「誰かの役に立ちたい」そう願ってもいるはずだ。

そういう気持ちを、私たちはもっと大切にしてあげるべきなのかもしれない。

頭に猿をのせて走る作次の姿を想像した時、おかしさよりも、耐え難い切なさを感じた。

新しい「妖怪小説」
鮮やかな作品だ。

滑稽味と滋味と人情味をほどよく漂わせながら、シュールな寂寥感と苦い味わいを醸しだす、軽さと重さ、薄さと濃さが綯い交ぜになったちょっと不思議な、比類ない物語世界を見事につくりあげている。

これはまったく新しい「青春小説」で、処女作でこれほどの達成をなしとげる作者の力量は相当なものだ。

──「走るジイサン」こと勝目作次(69歳)は鋳物職人あがりで、「人間の本音はもっと単純でやさしい言葉の中にひそんでいる」と思っている。

だから、子連れの中年男との恋愛に悩む明ちゃんが描いた絵の赤い色の微妙な変化に気づいたり、息子の嫁の京子さんの凛とした硬質の輝きに惹かれたりする。

それは、老人こそがもちうる鍛えぬかれた感受性である。

友人の建造(66歳)が作次に語る!。

「老人ってのは異人だと私は思うね。

稀人ですよ。

多くなりすぎた稀人です。

民俗学の柳田国男のいう魑魅魍魎のたぐいですよ。

普通の人から見ればもう人間じゃないんですよ」。

この作品は、川端康成の『山の音』にも拮抗しうる、まったく新しい「妖怪小説」である。


走るジイサン (集英社文庫)池永 陽

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