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初めて子規の作品を読みました
初めて子規の作品を読みました
子規の本を読んだのは初めてです。昔は文学をやっていたのに、情けない。。。
芭蕉、蕪村、子規の句集まで読んできたけれど、この本なら子規初心者でも
読めると思います。なにか切迫したような、つましさを感じました。
一筋縄ではいかない芭蕉、明るい色調の蕪村でしたが、子規は孤独で
なにかを見据えたようだったのが、第一印象です。


子規の句を読んで
子規の句は、色あせない。
句の中に閉じ込められた情景は、開いた瞬間五官に訴え、色彩が、風景が立ち上がる。
そこにあるのは子規がその目で見た視線であり、一瞬に凝結する味わいだ。

子規の句がなぜ生き続けるのかというもうひとつの理由は、その情報量だと思う。
俳諧の「侘び」「寂び」が哀愁か、それとも諦観なのか、現代のわれわれにはよくわからない。
子規の句はある意味で“気づく”という行為の集大成だが、それで終わらないのは、この世界を「見る」ことに対する文字通り生命を燃焼させた子規のすさまじいまでの執念が、そこに見え隠れするからだ。

興味深いのは、晩年になるにつれて俳諧の決まりきった作風から脱却(逸脱)した結果、かえって本来の俳諧の「侘び」「寂び」が鮮明になってくる点である。
先鋭から普遍への回帰という子規の歩みは、表現と人との関係に何かひとつの示唆を与えるように思えて、とても興味深い。

子規句集

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