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ストーリーの面白さと文章の美しさ
2010.10.30 Saturday
物悲しいお話ですが、こころのひだが描かれています。 挿絵も美しい。
初めての谷崎でした。イメージしていた淫靡な感じではない(これまでなんとなく避けていた理由)。滋幹の父、大納言国経に自分の気持ちを投影してみると、ちょっと耐え難い気分になってしまいます。物悲しいお話ですが、こころのひだが描かれています。
挿絵も美しい。
タイトルはあまり気にしなくてもいいかもしれない
話は冒頭から滋幹と母を主軸に描かれるのかと思いきや、始めは全く滋幹が出てこなかったりとタイトルから想像していた話とはだいぶ違った。又スタイルもどことなく澁澤を思い起こさせる風なものであった。しかしさすがは谷崎、と感じたのは難解な用語を含むのにするすると読者に読ませてしまうその力量である。谷崎の文章の美しさとはこのような部分にも現れているんだろうな、と思った。
古典を消化し創作を融合した最高の作品
平中の好色話から始まり、時平の強奪愛、そして奪われた国経の不浄観への傾斜と、話は次々に展開してゆきます。
しかし、結局は40年ぶりに滋幹が母親に会い涙する場面に集約されてしまいます。
その古典を縦横無尽に引用しながら、そこに創作の部分を見事に織り込んでいます。
そして、その文章の美しさ。
文体が古いこともあって、読みにくさがあるかも知れませんが、それを超越してしまう素晴らしい文章です。
ストーリーの面白さと文章の美しさが、古典の原作を見事に消化し、完全な谷崎文学になっています。
何十年振りかで読みましたが、やっぱり最高の作品です。
少将滋幹の母
コインケース
初めての谷崎でした。イメージしていた淫靡な感じではない(これまでなんとなく避けていた理由)。滋幹の父、大納言国経に自分の気持ちを投影してみると、ちょっと耐え難い気分になってしまいます。物悲しいお話ですが、こころのひだが描かれています。
挿絵も美しい。
タイトルはあまり気にしなくてもいいかもしれない
話は冒頭から滋幹と母を主軸に描かれるのかと思いきや、始めは全く滋幹が出てこなかったりとタイトルから想像していた話とはだいぶ違った。又スタイルもどことなく澁澤を思い起こさせる風なものであった。しかしさすがは谷崎、と感じたのは難解な用語を含むのにするすると読者に読ませてしまうその力量である。谷崎の文章の美しさとはこのような部分にも現れているんだろうな、と思った。
古典を消化し創作を融合した最高の作品
平中の好色話から始まり、時平の強奪愛、そして奪われた国経の不浄観への傾斜と、話は次々に展開してゆきます。
しかし、結局は40年ぶりに滋幹が母親に会い涙する場面に集約されてしまいます。
その古典を縦横無尽に引用しながら、そこに創作の部分を見事に織り込んでいます。
そして、その文章の美しさ。
文体が古いこともあって、読みにくさがあるかも知れませんが、それを超越してしまう素晴らしい文章です。
ストーリーの面白さと文章の美しさが、古典の原作を見事に消化し、完全な谷崎文学になっています。
何十年振りかで読みましたが、やっぱり最高の作品です。
少将滋幹の母
コインケース
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初めて子規の作品を読みました
2010.10.29 Friday
初めて子規の作品を読みました
子規の本を読んだのは初めてです。昔は文学をやっていたのに、情けない。。。
芭蕉、蕪村、子規の句集まで読んできたけれど、この本なら子規初心者でも
読めると思います。なにか切迫したような、つましさを感じました。
一筋縄ではいかない芭蕉、明るい色調の蕪村でしたが、子規は孤独で
なにかを見据えたようだったのが、第一印象です。
子規の句を読んで
子規の句は、色あせない。
句の中に閉じ込められた情景は、開いた瞬間五官に訴え、色彩が、風景が立ち上がる。
そこにあるのは子規がその目で見た視線であり、一瞬に凝結する味わいだ。
子規の句がなぜ生き続けるのかというもうひとつの理由は、その情報量だと思う。
俳諧の「侘び」「寂び」が哀愁か、それとも諦観なのか、現代のわれわれにはよくわからない。
子規の句はある意味で“気づく”という行為の集大成だが、それで終わらないのは、この世界を「見る」ことに対する文字通り生命を燃焼させた子規のすさまじいまでの執念が、そこに見え隠れするからだ。
興味深いのは、晩年になるにつれて俳諧の決まりきった作風から脱却(逸脱)した結果、かえって本来の俳諧の「侘び」「寂び」が鮮明になってくる点である。
先鋭から普遍への回帰という子規の歩みは、表現と人との関係に何かひとつの示唆を与えるように思えて、とても興味深い。
子規句集
斜めがけ
子規の本を読んだのは初めてです。昔は文学をやっていたのに、情けない。。。
芭蕉、蕪村、子規の句集まで読んできたけれど、この本なら子規初心者でも
読めると思います。なにか切迫したような、つましさを感じました。
一筋縄ではいかない芭蕉、明るい色調の蕪村でしたが、子規は孤独で
なにかを見据えたようだったのが、第一印象です。
子規の句を読んで
子規の句は、色あせない。
句の中に閉じ込められた情景は、開いた瞬間五官に訴え、色彩が、風景が立ち上がる。
そこにあるのは子規がその目で見た視線であり、一瞬に凝結する味わいだ。
子規の句がなぜ生き続けるのかというもうひとつの理由は、その情報量だと思う。
俳諧の「侘び」「寂び」が哀愁か、それとも諦観なのか、現代のわれわれにはよくわからない。
子規の句はある意味で“気づく”という行為の集大成だが、それで終わらないのは、この世界を「見る」ことに対する文字通り生命を燃焼させた子規のすさまじいまでの執念が、そこに見え隠れするからだ。
興味深いのは、晩年になるにつれて俳諧の決まりきった作風から脱却(逸脱)した結果、かえって本来の俳諧の「侘び」「寂び」が鮮明になってくる点である。
先鋭から普遍への回帰という子規の歩みは、表現と人との関係に何かひとつの示唆を与えるように思えて、とても興味深い。
子規句集
斜めがけ
華やかに、しなやかに。
2010.10.27 Wednesday
華やかに、しなやかに。
昭和初期の上流家庭における4姉妹、
そのお嬢さん方の生活を写実的に切り取ったような長編小説。
それぞれ常識派、几帳面、奥手、自由奔放と、個性的に生きていく様が日常的に描かれ、
当時の考え方や、個々の視点が見えるようで趣きがあります。
世間知らずなお嬢さん育ちの生活がなぜ少し眩しく映るのか?
それは境遇が羨ましいのではなく、正直に生きている様があるからだと思います。
転機となる場面で、彼女たちなりの一生懸命があり、ユーモアがあり、人間味を帯びている。
それは、時代や境遇に翻弄されても、なお眩しく有り続ける姿です。
私も彼女たちに続く妹として、この現代をただ素直に生きてみたいと思いました。
谷崎の真骨頂:大戦を背景にブルジョアの見合い話をまったり描く
よく言われるように、大阪船場の豪商の家に生まれた四姉妹の煌びやかな生活を通して、旧き良き上方文化が衰弱死していく様がまったりと豪華に描かれた作品なのだが、第二次大戦中で逼迫していく時局に対し、そんな世間に全く無頓着なブルジョアの生活を意図的に描くことで、軍部を刺激したという逸話が残っている。実際、芦屋の家のお隣さんはドイツ人一家だし、末妹の知り合いの亡命ロシア人一家がイギリスは良い国かどうかで言い争いになったり、満州やナチス・ドイツの様子がさりげなく会話に挟まれたりしているあたりに作家の意図が見えるのだが、そんな風雲急を告げる世情とは対照的に、この上巻では行き遅れた三女・雪子の見合い話が丸々一冊展開するだけ(笑)、というまったり具合が素晴らしい。
ドMな作風を誇った谷崎だがこの代表作では直情的なエロは控えていて、寧ろ華やかな四姉妹に対し一歩引き、まるで桜を愛でているように鑑賞している視線すら感じられる。勿論、これはこれで谷崎流の女性賛美ではあるのだが、何に驚くって、この四姉妹のエピソードが、妻・松子と妹達の実際の生活をモデルに書かれたという事実ですね。旧き良き上方文化はどこへ。
桜と着物
ずっとその作品の名前だけは知っていたわけですが、どういうわけか、この年齢まで読むことがないままでした。その理由はつまるところ作品に対する偏狭な偏見だったのでしょう。上巻をやっと読んだところですが、この年齢まで読まなくてよかったというのが最初の読後感でした。この世界ははたして若者にわかる世界なのでしょうか。いや私にも本当のところはわからないのかもしれません。シナ事変直前(昭和11?12年)の関西、それも神戸と芦屋が舞台です。お見合いの相手の年収は私のような門外漢にもわかる3000円強というすごい金額です。でも財産が少ないということでお見合いの席では不利となっているようです。なんという格差社会でしょう。そう格差社会はすでに戦前に存在したのです。だってベアテ・シロタ・ゴードンのお父さんのピアノ演奏会も登場するくらいです。家にはお手伝いさんもいます。年次行事としては、必ず京都に姉妹で桜を見に行くことになっています。関西人の間でも公の席では、標準語を使うのが礼儀のようです。上巻は、つまるところ2度のお見合いが全体を位置づけるイヴェントとなっています。でもここで浮かび上がるのはいつもながら女性の変わらない強靭さです。時代背景にもかかわらず、時代を感じさせるシーンや会話はほとんど登場しません。たしかに資本主義は変わりつつあるのでしょうけど、生活はあたかも変わらないサイクルのように繰り返されていくだけのようです。そして京都の桜は変わりません。ただ主人公全員が年を取っていくということ意外は。
細雪
空雲日記 一粒の涙
昭和初期の上流家庭における4姉妹、
そのお嬢さん方の生活を写実的に切り取ったような長編小説。
それぞれ常識派、几帳面、奥手、自由奔放と、個性的に生きていく様が日常的に描かれ、
当時の考え方や、個々の視点が見えるようで趣きがあります。
世間知らずなお嬢さん育ちの生活がなぜ少し眩しく映るのか?
それは境遇が羨ましいのではなく、正直に生きている様があるからだと思います。
転機となる場面で、彼女たちなりの一生懸命があり、ユーモアがあり、人間味を帯びている。
それは、時代や境遇に翻弄されても、なお眩しく有り続ける姿です。
私も彼女たちに続く妹として、この現代をただ素直に生きてみたいと思いました。
谷崎の真骨頂:大戦を背景にブルジョアの見合い話をまったり描く
よく言われるように、大阪船場の豪商の家に生まれた四姉妹の煌びやかな生活を通して、旧き良き上方文化が衰弱死していく様がまったりと豪華に描かれた作品なのだが、第二次大戦中で逼迫していく時局に対し、そんな世間に全く無頓着なブルジョアの生活を意図的に描くことで、軍部を刺激したという逸話が残っている。実際、芦屋の家のお隣さんはドイツ人一家だし、末妹の知り合いの亡命ロシア人一家がイギリスは良い国かどうかで言い争いになったり、満州やナチス・ドイツの様子がさりげなく会話に挟まれたりしているあたりに作家の意図が見えるのだが、そんな風雲急を告げる世情とは対照的に、この上巻では行き遅れた三女・雪子の見合い話が丸々一冊展開するだけ(笑)、というまったり具合が素晴らしい。
ドMな作風を誇った谷崎だがこの代表作では直情的なエロは控えていて、寧ろ華やかな四姉妹に対し一歩引き、まるで桜を愛でているように鑑賞している視線すら感じられる。勿論、これはこれで谷崎流の女性賛美ではあるのだが、何に驚くって、この四姉妹のエピソードが、妻・松子と妹達の実際の生活をモデルに書かれたという事実ですね。旧き良き上方文化はどこへ。
桜と着物
ずっとその作品の名前だけは知っていたわけですが、どういうわけか、この年齢まで読むことがないままでした。その理由はつまるところ作品に対する偏狭な偏見だったのでしょう。上巻をやっと読んだところですが、この年齢まで読まなくてよかったというのが最初の読後感でした。この世界ははたして若者にわかる世界なのでしょうか。いや私にも本当のところはわからないのかもしれません。シナ事変直前(昭和11?12年)の関西、それも神戸と芦屋が舞台です。お見合いの相手の年収は私のような門外漢にもわかる3000円強というすごい金額です。でも財産が少ないということでお見合いの席では不利となっているようです。なんという格差社会でしょう。そう格差社会はすでに戦前に存在したのです。だってベアテ・シロタ・ゴードンのお父さんのピアノ演奏会も登場するくらいです。家にはお手伝いさんもいます。年次行事としては、必ず京都に姉妹で桜を見に行くことになっています。関西人の間でも公の席では、標準語を使うのが礼儀のようです。上巻は、つまるところ2度のお見合いが全体を位置づけるイヴェントとなっています。でもここで浮かび上がるのはいつもながら女性の変わらない強靭さです。時代背景にもかかわらず、時代を感じさせるシーンや会話はほとんど登場しません。たしかに資本主義は変わりつつあるのでしょうけど、生活はあたかも変わらないサイクルのように繰り返されていくだけのようです。そして京都の桜は変わりません。ただ主人公全員が年を取っていくということ意外は。
細雪
空雲日記 一粒の涙
八月 薫の浮世艶草紙
2010.10.25 Monday
絵、ストーリー共に良し。一緒に知られざる江戸風俗も……
江戸風俗を題材にしたお話なのですが、固い話は抜きに楽しめます。
ストーリーがしっかりしている上に、八月薫さんの絵も達者なので、とにかく楽しめるはず。
知らなかった江戸風俗を読んで、へぇと思うことも少なくありません。上質な大人の読み物としてもなかなかいけます。
江戸時代の性文化の入門編として
江戸時代の性文化の入門編として、絵も官能的で非常に分かりやすいです。ただ、江戸の性分化の一面しか掲載されていないので、もっと知りたい人は消化不良になるかもしれない。より詳しく江戸時代の性文化を知りたい場合は、「江戸の性愛術」や「張形と江戸をんな、「江戸春画の性愛学シリーズ、「江戸の閨房術 などを参考にするといいでしょう(「男色関係は除きました。自分の心情的な問題です)。
エッチなのだが、歴史考証がしっかりしていて読み物としても・・
エッチですが、時代考証や解説等が入っていてバランス良い読み物となっています。女性が描いている様なので女性にも読めそうです(元来女性物?)
特に後書きの解説が原稿用紙12ページ分の長さ(4ページですが)丁寧に書いてあり、エッチだけではない好感さがあります。
(三行半の真の意味等)
ただ、張型等強烈な物も出てくるので18禁を付けた方がよいかも。(あくまで説明ですが、それ自体強烈、、)
浮世絵春画レベルのHさもあると考えて下さい。
浮世艶草紙
グラビス
江戸風俗を題材にしたお話なのですが、固い話は抜きに楽しめます。
ストーリーがしっかりしている上に、八月薫さんの絵も達者なので、とにかく楽しめるはず。
知らなかった江戸風俗を読んで、へぇと思うことも少なくありません。上質な大人の読み物としてもなかなかいけます。
江戸時代の性文化の入門編として
江戸時代の性文化の入門編として、絵も官能的で非常に分かりやすいです。ただ、江戸の性分化の一面しか掲載されていないので、もっと知りたい人は消化不良になるかもしれない。より詳しく江戸時代の性文化を知りたい場合は、「江戸の性愛術」や「張形と江戸をんな、「江戸春画の性愛学シリーズ、「江戸の閨房術 などを参考にするといいでしょう(「男色関係は除きました。自分の心情的な問題です)。
エッチなのだが、歴史考証がしっかりしていて読み物としても・・
エッチですが、時代考証や解説等が入っていてバランス良い読み物となっています。女性が描いている様なので女性にも読めそうです(元来女性物?)
特に後書きの解説が原稿用紙12ページ分の長さ(4ページですが)丁寧に書いてあり、エッチだけではない好感さがあります。
(三行半の真の意味等)
ただ、張型等強烈な物も出てくるので18禁を付けた方がよいかも。(あくまで説明ですが、それ自体強烈、、)
浮世絵春画レベルのHさもあると考えて下さい。
浮世艶草紙
グラビス
ホラー顔負けの、愛と情念の物語
2010.10.24 Sunday
良質の痴情小説集。
寂聴さんの本は初めて読みましたが、キメ細やかで確かな表現力にホッとさせられました。
たおやかなのに型崩れしていない素敵な文章だと思います。芯が通っています。
「性」というものが生々しく描かれているのに嫌らしさがありません。
収録作品はどれもよく作り込まれた劇であり、すべての小説好きの方にお勧めしたいです。
ホラー顔負けの、愛と情念の物語たち
今や老境に達しておられる瀬戸内寂聴さんが、まだ30代、【瀬戸内晴美】の時代に書いた短編集。
対談などで、しばしば「受賞後第1作で『子宮作家』なんて言われてね、その後何年も純文学誌では干されちゃったのよ」と話されるくだんの作品「花芯」のほか、「いろ」「ざくろ」「女子大生・曲愛玲」「聖衣」の5編からなる。
【瀬戸内寂聴】から入った世代にとっては、【晴美】(それも初期の)頃の作品を読むと、まずは驚かされる。今や“慈悲”の心境に達した寂聴さんも、かつては“渇愛”の中で、自身の奔放な恋愛遍歴と重なるような“色気”と“生命力”が迸る、触れたら火傷するような「愛」と「業」を抱いてひた走る女性を描いていたのだ。
が、当時の場合、「色気と生命力と愛と業」を書く女性=『子宮作家』呼ばわりされるのだから、何と子どもじみた文壇だったことか。しかし、こういう開拓者たちがいるからこそ、現在、その影響を受けた人たちが一線で活躍しているのだ。山田詠美など、フォロワーは後を絶たない。そして、寂聴さん自身は、文化勲章はじめ、長年積み重ねてきた素晴らしい功績がようやく認められる時代となった。
それにしても、表題作『花芯』のラストの一文は素晴らしい。
当時の文壇の人たちが、赤面しちゃって『子宮作家!』と言うしかなかったことも、何となく…分かるような気がする。男性が読んだら、気持ち悪さすら感じるのではないだろうか?女の私は、怖かった。リアルに想像してしまった。ホラー顔負けの〆の文である。ぜひ、手に取って読んでいただきたい。
洗練された筆致はないが、そこには、女の愛と情念が詰まっている。
なお、この作品の10年後に発表した『死せる湖』では、一転して絶賛される。“渇愛”の系譜に連なる完成形がここに。
女の業、女の性
女の性、女の業を描き続けていた瀬戸内晴美さんの、特に強烈な初期短編、表題作「花芯」ほか、「いろ」「ざくろ」「女子大生・曲愛玲」「聖衣」を収めています。女たちの、繊細すぎる感性や壮絶な意志、それらを、どっぷりと読者が浸されるかのような筆致で描いています。
花芯 瀬戸内 寂聴
ゲラン
寂聴さんの本は初めて読みましたが、キメ細やかで確かな表現力にホッとさせられました。
たおやかなのに型崩れしていない素敵な文章だと思います。芯が通っています。
「性」というものが生々しく描かれているのに嫌らしさがありません。
収録作品はどれもよく作り込まれた劇であり、すべての小説好きの方にお勧めしたいです。
ホラー顔負けの、愛と情念の物語たち
今や老境に達しておられる瀬戸内寂聴さんが、まだ30代、【瀬戸内晴美】の時代に書いた短編集。
対談などで、しばしば「受賞後第1作で『子宮作家』なんて言われてね、その後何年も純文学誌では干されちゃったのよ」と話されるくだんの作品「花芯」のほか、「いろ」「ざくろ」「女子大生・曲愛玲」「聖衣」の5編からなる。
【瀬戸内寂聴】から入った世代にとっては、【晴美】(それも初期の)頃の作品を読むと、まずは驚かされる。今や“慈悲”の心境に達した寂聴さんも、かつては“渇愛”の中で、自身の奔放な恋愛遍歴と重なるような“色気”と“生命力”が迸る、触れたら火傷するような「愛」と「業」を抱いてひた走る女性を描いていたのだ。
が、当時の場合、「色気と生命力と愛と業」を書く女性=『子宮作家』呼ばわりされるのだから、何と子どもじみた文壇だったことか。しかし、こういう開拓者たちがいるからこそ、現在、その影響を受けた人たちが一線で活躍しているのだ。山田詠美など、フォロワーは後を絶たない。そして、寂聴さん自身は、文化勲章はじめ、長年積み重ねてきた素晴らしい功績がようやく認められる時代となった。
それにしても、表題作『花芯』のラストの一文は素晴らしい。
当時の文壇の人たちが、赤面しちゃって『子宮作家!』と言うしかなかったことも、何となく…分かるような気がする。男性が読んだら、気持ち悪さすら感じるのではないだろうか?女の私は、怖かった。リアルに想像してしまった。ホラー顔負けの〆の文である。ぜひ、手に取って読んでいただきたい。
洗練された筆致はないが、そこには、女の愛と情念が詰まっている。
なお、この作品の10年後に発表した『死せる湖』では、一転して絶賛される。“渇愛”の系譜に連なる完成形がここに。
女の業、女の性
女の性、女の業を描き続けていた瀬戸内晴美さんの、特に強烈な初期短編、表題作「花芯」ほか、「いろ」「ざくろ」「女子大生・曲愛玲」「聖衣」を収めています。女たちの、繊細すぎる感性や壮絶な意志、それらを、どっぷりと読者が浸されるかのような筆致で描いています。
花芯 瀬戸内 寂聴
ゲラン
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